晴れの日は明るい日差しや爽やかな風を入れ、雨の日は屋内施設として、天気に影響されずに快適な空間を生み出す建築物。 横河は、開閉式屋根や開閉ドームの駆動システムを国内外を問わず数多く手掛けてきました。 日本には梅雨があり、さらに台風大国と言え、データ的には全国平均で約30%が降水日という風土なのです。 80年代後半から90年代にかけて、世の中が完全週休2日制へとシフトして行った時代、 景気も活力に溢れ、余暇時間の増加と共に、より利便性の高い、より稼働率の高い施設が求められる時代へと変化していく中、開閉屋根を有するドーム建築やスポーツスタジアムを求める時代を迎えて行きました。
国内初の大規模なドームは1988年に誕生した東京ドームが始まりと言えます。当時の最新技術である空気膜構造が採用されました。 そして、その後、国内初となる開閉式スタジアムの登場は、91年 有明コロシアム(テニス競技場)、93年 福岡ドームが誕生しました。 80年代前半、全国の学校や市町村の運動公園に全面硝子張りの開閉式プール屋根を数多く施工していた横河も、80年代後半からは、こまつドームや天城ドームを初め、豊田スタジアム、ノエビアスタジアム神戸など、国内随所で開閉式ドームを手掛けて行きました。 横河の開閉式屋根の歴史は古く、第1号は1964年、農林省から発注された農業試験用の可動式屋根が始まりです。
当時の写真や詳細な記録細が残っていないために詳しく説明することは出来ませんが、作物の日照時間を制御して発芽条件を調整する為に採用されたもので、国内初の電動開閉式屋根です。おそらく日本最古(推定)の開閉式屋根と思われます。 そして、当社はこの実績を機に、時代のニーズに応えていくために本格的に商品化を進め、「特殊建築物(可動建築・可動屋根) YMA (Yokogawa Movable Architecture)」として販売を開始したのは1980年代に入ってからになります。
本施設は、横河が本格的に開閉式屋根を商品化する為に、自社の福利厚生施設であったテニスコートに実大実験も兼ねて建設したものです。 実験では、スムーズな動きや非常時の停止性能の確認、さらには、屋根を閉じた際の雨仕舞性能の確認など様々な項目のデータを取っています。 また、建物を建設する時に必要な確認申請の際には、開閉式建物では、安全性能の確認をするために国内で初めてとなる「個別構造評定」の審査を受けました。
申請に当たっては、千葉県庁の建築指導課に相談に伺った際、「建物として扱うべきか」或いは「車両として扱うべきか」と言う議論の末、判断に困った県の担当課からは、「建設省(当時)か運輸省(当時)に行って下さい」と言われ、当社はまず最初に建設省に相談に行きました。そして、その結果、「移動装置を有する建物」として建設省が審査すると言う判断が下り、国内で初めて「移動(開閉)する建物」が建築物と評価されたのです。
横河橋梁製作所体育館テニスコートのすぐそばにある本施設は、当社の開閉上屋付きのテニスコートを見学された後、町民プールに採用を検討したいと言う町の要望に応える形で実現したもので、国内初の開閉式屋根を備えた50mプールです。
横河はこの実績をきっかけに、その後、全国の学校プールや市町村の運動公園内のプールに開閉式屋根を施工して行きます。
横河では、それまでの水平移動方式の開閉式屋根に加え、同じ面積でも広い開口が可能となる勾配上を移動する開閉方式を開発しました。
そして、勾配移動方式はすぐにこまつドーム(直径135m、建築面積14,344m2)や新天城ドーム(直径80m、建築面積7,638m2)に採用されることとなりました。
勾配移動方式は、水平移動方式とは異なり、屋根の重量に比例して勾配方向に重力が加わることから、移動時には大きなエネルギーが必要になります。
また、勾配があるため、万が一の故障時には「落下」の危険性を伴うため、2重3重のフェールセーフ機構を設けるなど、水平移動方式には無い安全を担保するための安全装置の検討がより複雑化していきます。
そして、これらの技術こそが当社の持つ技術力の高さであり、当社のみが保有するノウハウと言えるのです。
2001年に竣工した豊田スタジアム(建築面積40,734m2)は、建築家 故黒川紀章氏の設計した開閉式屋根サッカースタジアムです。
開閉屋根は総数13本の長さ90mにも及ぶ巨大なトラス梁の間に、風船状に膨らむ空気膜構造を配置して、空気の圧力を加減させながら蛇腹式に折り畳む構造の開閉屋根です。
総重量は2,500トンあり、凹状凸状のキールトラスに沿って走行する世界的に見ても類を見ない、極めて複雑な駆動システムを持つ開閉屋根です。
そして、複雑な機構であるが故に、定期的なメンテナンスが大変重要となってきますが、豊田スタジアムは様々な事情を抱えた行政の判断により、定期メンテナンス(車で例えた場合は半年・1年定期点検に相当)を実施していない為に、現在、開閉運転を中止している状況です。
その結果、建設後、国内で最も開閉回数の少ない開閉屋根と考えられます。この様な状況下、「豊田スタジアムは壊れている」「開かない屋根」と言った有り難くない風評に晒されている状況です。 しかし、開閉システムを担当した当社の考えはかなり異なっています。
豊田スタジアムは、様々な理由によって、何年間も放置されてた状況のため、一度、当社による機械関係部品のオイル交換とグリスアップを入念に実施した後、当社が専門的な操作をすることにより、確認しながら開閉させることは可能であると考えています。また、その操作で安全が確認出来れば、再び、開閉屋根は開閉運転が可能になると考えています。当社しては、是非とも、その機会を与えて頂くことを願うばかりです。
しかし、2021年 残念なことに豊田市は屋根の全面固定化を発表し、今後、蛇腹式空気膜の撤去と駆動システムの固定化の工事を進めていくと発表がされました。
固定化の理由は、開閉屋根の維持は費用が掛かり、一回あたりの運転費用は100万円と新聞やネットニュースに掲載され、スポーツライターの皆さんやお天気キャスターの方までがネットニュースなどでは同様のことを書いています。
しかし、同時期に当社が施工したノエビアスタジアム神戸では、一回の開閉運転に掛かる費用は電気代のみで5,000~6,000円程度。運転操作は施設管理者のみで行い、開及び閉のボタンを押すのみで、片道約20分で運転は終了します。年間におおよそ100回の運転を行い、竣工後、既に2,100回以上の開閉運転がされている。
一方、豊田スタジアムは神戸と比較して、構造が複雑がゆえにモーター台数は多いが、電気代の計算はモーター出力と運転時間から算出でき、豊田の場合は10,000円程度と言えます。しかし、公表される数字は一回あたり100万円と言う。その根拠を当社は是非とも知りたいと考えています。
他施設と違い、豊田スタジアムは管理者が運転操作を行わない。もしも、運転操作をする場合には専門業者に委託することになります。これは、当社の施工した開閉屋根施設では唯一です。
また、機器の点検や補修なども殆どなされていない。何かの特別なイベントが開催される前には「安全点検」と言うことが実施されたのみです。
ゆえにこれまで数回程度しか開閉運転をしていないにも関わらず、一回の運転費用が100万円と言う発表に、当社は大いに疑問を感じています。もしも、これまでに掛かった様々な費用をわずかな運転回数で割り算をした場合には、100万円では足りず、千万円と言う単位になるのではないかと思われます。
いずれにしても、これほどまでに、発注者・管理者と施工者の思いが食い違ってしまう原因は、何処にあるのだろうと当社は思うばかりです。
2018年のサッカーW杯ロシア大会でサンクトペテルブルクにある「ガスプロム・アリーナ」は、豊田スタジアムと外観がそっくりで兄弟と言える開閉式スタジアムです。2017年に竣工したこのスタジアムも黒川紀章氏の設計でしたが、完成を見ずにこの世を去り、彼の「遺作」となりました。
2003年に竣工したノエビアスタジアム神戸(建築面積31,706m2)は、2002年のサッカー日韓W杯の開催終了後に開閉屋根を後から施工をした。
W杯開催時の観客席は仮設のサイドスタンドを設置し、W杯の終了後に仮設スタンドを撤去し、その後に超大型のクレーンを用いて開閉屋根の鉄骨を地上でブロック組立て後、順次、上架して行きました。
開閉屋根の1パネルの大きさはスパン90m×長さ35mです。合計4枚のパネルが移動することで、屋根部に大きな口を開けることが出来ます。
設計上は軽量化されているとは言え、上側パネルで310トン、下側パネルで330トンの重さがあり、最大傾斜30度の勾配上を走行します。
また、竣工以来、これまでの開閉屋根の運転回数は実に2,100回を超え、おそらく世界一の回数を記録していると思われます。
開閉式ドームやスタジアムの建設には、設計~施工~竣工までに掛かる時間はおおよそ4年です。都内に乱立する超高層ビル作るよりも時間が掛かります。さらに、開閉屋根を伴うドーム建築は「建築技術+橋梁技術+機械技術+電気制御技術」の要素を併せ持つ、とても高度な技術を必要とする建築物なのです。
そして、1990年代後半から、当社の特殊建築の技術はスポーツ以外の施設へと展開して行くのです。
開閉屋根で培った横河の特殊建築の技術の歴史は、平成の時代にスポーツ以外の施設へと展開して行きます。
1999年に竣工したローム株式会社様の本社厚生棟は、外壁をガラスカーテンウォールで覆われた建物で、内部は大きな吹き抜け空間のオープンスペースが設けられています。
そして、吹き抜け空間の上部には、国内初の光透過タイプの太陽光発電パネルを配置した開閉トップライトが設置されています。
冬期には太陽光が降り注ぎ温室効果を発揮、夏期はトップライトを開放して、爽やかな風を感じながら社員の皆さんが会議やミーティングをしています。
2004年に竣工した香港沙田競馬場(Hong Kong Sha Tin Racecourse)は、香港Jockey Clubが所有する2大競馬場の1つで、世界初となる開閉式屋根を設けた全天候型パドックです。
屋根は全幅99.5m x アーチトラスの長さ89.7m の鉄骨上をカーブに沿って1列当たり上下2枚の開閉屋根があり、全5列、合計10枚の開閉屋根が配置されています。
パドックでは、レース後の表彰式の他、X’masやハロウィーンパーティーなど、競馬以外のイベントなども行われています。竣工後の開閉回数は1,200回を超えており、香港では知らない人はいないランドマーク的な存在となっています。
2007年に施工した河口湖ステラシアター開閉屋根は、富士河口湖町が運営する野外音楽堂です。
1995年に竣工した時は、富士山の眺望をバックステージのシンボルとする美しい景色の屋根無しの野外音楽堂でした。
しかし、公演イベントが天候に左右されることから、改修工事として屋根の設置を検討されました。そして、富士山の眺望がそのまま可能となる開閉屋根が2007年に後付けで設置された全天候型シアターとなりました。
屋根を設置するにあたり、鉄筋コンクリート製の既存建物は屋根を支えるだけの強度が無いため、四隅に大きな柱を配置して450トンの屋根を支えています。可動屋根はイベントの演出として公演中に開閉されることがあります。
2011年以降、大型製品の塗装ブース用の可動する上屋、さらには、最大幅48m x 高さ16mとなる大型扉を設けた工場や倉庫など産業用建物などにも当社の可動技術は採用されて行きました。
可動する壁とも言える大扉は、後に商品「タイタンドア」となって航空機の格納庫扉としても採用されて行きます。
この頃から始まる産業市場からのニーズは、大スパン構造、且つ、大型扉を必要とする建屋であり、その多くは造船業界や航空機業界からでした。これらのニーズに対して、当社の大スパンを得意とするシステム建築商品「yess建築」と開閉屋根で培った特殊建築技術の複合技術は、低価格で短工期を実現できる技術として多くの施設に採用されていきます。
2019年、アメリカ・ハワイ島のマウナケア山頂(標高4,200m)にある国立天文台すばる望遠鏡のメインシャッターの改修工事も当社開閉屋根で培った技術が採用されています。
カナダ製のメインシャッター装置は天体観測に影響を与え兼ねないほどに経年劣化が進んでいました。
しかも、建設当時の図面や計算書などの資料も殆ど残っていない状況です。観測日程を変えることは出来ない絶対条件のもと、限られた日程と作業時間、さらには、低酸素と言う過酷な環境の中で、不具合状況の聞き取り調査や3次元測量を行い、不具合箇所を特定し、改修方法の検討・部品の設計・製造・現場施工に至る作業をワンストップで行っています。
近年、スポーツビジネスは益々の盛り上がりを見せ、その経済効果は15兆円規模と言われています。
しかし、現在の国内のスポーツ施設は、天候に影響を受ける稼働率の低い「専用施設」が多いため、海外のスポーツ施設の動向に見られる建設後の施設の利用率、いわゆる「稼働率の向上が図れる施設」の検討が改めて始まっています。
具体的には、サッカースタジアムを専用施設として郊外へ建設するのではなく、街の一部として機能させ、サッカー以外のイベント興行が可能となる「多機能複合型」の施設建設の検討が始まっています。
そして、これらのニーズに応えるものとして、開閉屋根付きのスタジアムは建設されてきました。
天然芝が必要なサッカースタジアムは、芝への日照確保と天候に左右されずにイベント興行が開催出来る様に開閉屋根を設置してきた経緯があります。
しかし、イベント開催後の芝の補修や張替えに伴う費用は膨大となるため、Jリーグのシーズンオフしかイベント利用していないと言う実態があり、近年では、天候や芝の育成に左右されずにイベント興行が開催できる、極めて稼働率の高い施設に対する要望が益々強くなって来ています。
当社はこれら新たなニーズに対応する画期的なシステムとして「競技場天然芝ピッチ昇降システム」を開発しました。
ピッチ上部に配置された可動式鉄骨フレームを介して、ピッチ本体を吊り上げる工法です。
サッカー時は下降させ、イベント興行時は上架させる。また、ピッチ本体は上架時には屋根となることから施設の屋内化と芝の育成に必要な日照も充分に取り入れることが可能となります、本システムはこれからのアリーナやスタジアムの稼働率を飛躍的に向上させるシステムとなって行くものと確信をしています。
当社の「開閉屋根の歴史」を綴って参りました。
我々の仕事は開発済みの商品を販売するのではありません。これまでの仕事の殆どは、新たな挑戦から始まるものばかりでした。
工事毎に最適な開閉屋根や可動技術を一から開発し、そして、設計から施工までの全てを行う。
そして、工事が完成し、竣工式の当日、テープカットと同時に屋根が音もなく開いていく・・、そして、会場の皆さんから自然に湧き上がる歓声や拍手・・、
我々は幾度となく、そんな経験をしてきました・・・。苦労の後の達成感と感動、その積み重ねこそが、技術者を育て、感動を呼ぶ新たな技術を生み出して行く・・。我々、特殊建築の面々はそう考えています。
当社は、これからも開閉屋根、可動技術のリーディングカンパニーとして、より一層の技術研鑽に努めて参ります。
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