横河システム建築の
歴史と技術
創始者"横河民輔"について(1864 - 1945)
横河民輔(よこがわ たみすけ)は、明治から昭和期の日本近代史を技術者、実業家として生きた人物です。 日本が技術先進国となる礎を築くこの時代に、海外から鉄骨技術をいち早く学び、鉄骨造の建築や橋梁の設計を手掛けました。 民輔は27歳の時に大きな災害をもたらした濃尾大地震を目の当たりにします。 そして地震国日本においていち早く「耐震性の必要性」を説き、我が国初の鉄骨建築「旧三井総本店」を設計するに至りました。「鉄骨建築の先駆者」と言われる所以です。
民輔が設計した代表的建築には、初代の帝国劇場や日本橋三越本店などがあります。 当時は最も先進的な建築物として「今日は帝劇、明日は三越」と言うキャッチコピーが流行するなど庶民の憧れスポットとなっていました。
鉄骨建築の先駆者である横河(当時は横河橋梁製作所)は、後に日本初の超高層「霞が関ビル」をはじめ、両国国技館や六本木ヒルズなど名立たる建物の鉄骨製作に携わり、さらには、ドーム建築の鉄骨製作や開閉屋根の駆動システムも手掛けていきました。
そして、鉄骨建築の技術革新に伴い、建物用途も拡がりを見せて行く中、それまでの重厚長大の構造物が主流であった鉄骨建築の時代から、軽量でありながら丈夫な建物が効率的に作ることが出来る「システム建築」へとニーズは変化し、横河は「軽・簡・強」を求めた究極の建築物として「システム建築」の世界においてもトップメーカーとして進化を遂げ、「横河システム建築」が誕生しています。
横河システム建築は、システム建築のトップメーカーとして、また、大型ドームやスタジアムの開閉屋根のトップメーカーとして進化し続け、100余年続く民輔の遺志は新たな形となって今も脈々と受け継がれています。