特殊建築部長
村岡 真 

実績と発展

世代交代を見越して

2004年、村岡は香港にいた。
香港沙田競馬場の可動屋根竣工を目前に控えたある日、
村岡は設計課から営業課への転属を命じられた。

以来、年に1回の点検や長期的な維持管理計画の立案と修繕工事に営業担当の立場で携わっていた。
施主のジョッキークラブとの関係維持や開閉屋根の機能に細心の注意を払い、
安心して長く使用できるよう技術的なサポートを行ってきた。

村岡は、厳しい海外の施主を満足させていた。

しかし、この次の新規案件が決まっていない。

己が感じてきた、仕事の魅力。
可動屋根の仕事は、決まりきった施工や保守点検では感じることはできない。
設計から苦労を重ね、動いた瞬間の感動は格別だ。
まだ、経験していない若手は多い、この仕事の醍醐味を次の世代へ早く伝えなければと村岡は気を揉んだ。

冬の時代

20年ほど前、日韓ワールドカップが終わった頃、
国内では開閉屋根を備えるスタジアムはしばらく計画すらされない冬の時代を迎え、
香港沙田競馬場の後に新規案件の計画が途絶えた。

先人が築き上げてきた、「技術」「段取り」「仕事への感動」を継承する場は、講義などでは駄目。
実際に案件をこなす必要がある。

次の受注へと奔走する毎日であった。
だが、その難しさから社内からも東京湾に糸を垂らしてクジラを釣るようなものだと揶揄された。
近年はアクアライン周辺でもクジラを目にすることがある。
潮目が変わればチャンスは来ると村岡は信じていた。

「進めば希望の光が指すはずだ」
一人静かに企み続ける。

チャンス到来

2018年5月、チャンス到来。
香港沙田競馬場の実績から、人脈を辿り新プロジェクト「カイタックスポーツパーク」の
入札を行うゼネコン「ヒッピン」の責任者に面会できた。

カイタックスポーツパークでは可動屋根の構想がある。

香港競馬場の可動屋根竣工から14年の年月が流れ
その間、「無事故、無故障」と安定稼働をしていた。
勿論、ヒッピンの責任者はそのことを知っていたのだ。

村岡は、香港競馬場でのこと
カイタックスポーツパークの可動屋根に対する考えを全力で伝えた。

それ以来、村岡は1年間、出張営業で香港に足を運び続けた。
同時に概略設計と概算見積を作成、受注に向けての技術検討を開始した。

2019年、案件を刈り取るべく、高柳常務とヒッピンを訪問した。
「日本は新国立競技場の開閉屋根を断念したと聞いている。
日本が作らないと決めた開閉屋根を香港に作ることを決意している。」
思いもよらない言葉に心が震えた。

呼応するように横河での実績や経験を香港へ持ち込むことを常務は約束し、
自分たちスタッフは持っている技術を惜しみなく投入する事を決意した。

そして、可動屋根の実績であるノエビアスタジアム神戸を視察してもらうため、
ヒッピンの責任者をアテンドし、細部まで丁寧に説明を行った。
ノエビアスタジアムは開閉屋根のメンテナンスで20年間見守り続けユーザーとの関係を構築してきた。
今回の視察をノエビアスタジアムは快く受け入れ、また施設側の意見として生きた知見をヒッピンに提供してくれた。
視察団の満足そうで安心した表情を確認し、香港での再会を約束した。

ものにするしかない

村岡は、何度もヒッピンを訪問し、契約条件、範囲、金額の調整に奔走。
設計方針、仕様、数量の変更が幾度となく行われ、原価積算の見直しは20回を超えた。

上司のホテルの一室に集まり、遠慮のない意見が飛び交う。
作業は、深夜までおよび、皆でカップラーメンを食べながら、お腹が減っていたことさえ忘れていたと笑いあった。

カイタックプロジェクトの入札に参加したのはヒッピンを含め4社だ。
ヒッピンの落札は自社の受注へ向けた絶対条件であった。

年の暮れには、結果が出るはず。
しかし、納会でも知らせはなかった。
新年は、良い知らせがあるはずと納会は締めくくられた。

納会の後、村岡は期待と不安を胸にひとり孤独に酒を味わっていた。
何度も落札状況を確認していた。
そろそろ終わろうとしていたその刹那、「ヒッピンが落札し受注」という情報が目に飛び込んだ。
すぐに常務に電話をかけ、興奮しながら受注の報告をした。

営業課に移って15年。
努力が、実った瞬間であった。

プロジェクト始動

年明け、仕事始めの日に村岡は、さっそく香港へ。
新年挨拶、落札の祝辞と本格的な設計着手に向けた事前着工書の締結の協議を開始。

2020年1月22日に事前着工書(LOI)に常務がサインし、
同年2月からプロジェクトの本格的なスタートがきられた。

最後に想うこと

振り返れば、そこには常務の存在があり、節目節目で物語の運び方を目の当たりにした。
すべてを予測し、誰よりも早く手をうつ。
そう心に刻まれた。
不安と混迷に思い切り立ち向かうことが出来たのは、その存在があったからだと思える。

己のみで道を開いてきたことは、遥かに想像を超えている。
色あせるどころか、さらに輝きを増しているとも思える。
幾つもの緊張した場面、張り詰めた空気の中で発せられた言葉は重い。

国内では、見送られてきた案件。
小舟でクジラを釣るのは困難かもしれない。
そもそも本当にクジラが居るのかも分からない。無論、その程度でやめることない。

カイタックプロジェクトでつないだ経験をもとに
これから先、先人たちの道を広げるべく
未来へ向けて奔走する。

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