特殊建築部 上級主幹
朱 大立

世界の標準

世界基準への順応

朱大立は、カイタックプロジェクトの設計の主役の一人に数えられる。
託されているのは、世界の建築家を相手に設計施工を進めることだ。
たたき上げの技術者は、今日も張り詰めた空気の中で、度を越えた没頭をしていた。

世界一流のスタジアムを作る。
計画から設計、施工、メンテナンスに携わる企業も一流が名を連ねる。
横河システム建築もその中の一社、朱は最初から緊張感を持ちながら設計を始めていた。
言うまでもないが、無論、負けてはいられなかった。

朱は、前置きしたうえでこう言った。
「日本の建築設計、機械設計は国際的なやり方とはだいぶ違う。
だから、このプロジェクトで世界基準に順応し、その先を広げたい」

たとえ無名でも勝負をとれば世界で認めてもらえる。
覚悟とともに始まった、いばらの道であった。

香港沙田(シャティン)競馬場の実績

遡ること15年、朱は香港にいた。
香港沙田競馬場が稼働して5年が過ぎたころ、メンテナンスで関わり始めた。

香港沙田競馬場は、問題なく稼働し、先方から好感を得られていた。
何より競馬場の設備管理の部長と仲良くなり親睦を深めた。
聞けば、設備管理の部長はカイタックプロジェクトの受注元のヒッピン(ゼネコン)出身であった。

その頃から、すでにカイタックプロジェクトの話はあり
朱は、ヒッピンと打ち合わせを重ねていた。

ある日のエピソード、ヒッピンの本社ビルのエレベーターで、沙田競馬場の設備管理の部長と偶然一緒になった。
その時、彼は昔の上司に呼び出され横河システム建築はどうだろうか?と聞かれていた。
後で聞けば、横河システム建築の仕事を絶賛してくれていたのだった。

全幅の信頼を寄せていたからこそ、一際評価が高い。
腕を買われた抜擢だった。

世界基準の洗礼

カイタックプロジェクトの入札に参加したのは4社だ。
フランス、中国、日本と一流の企業が横並びになった。
設計理念、考え方、沙田競馬場をプレゼンテーションした。

しかし、初めから世界のやり方は違っていた。
日本では、ほとんどの資料を紙ベースの2Dだが、
今回は、初めからBIM(4次元建物総合情報立体モデル)で作成し提出説明する。

それまで朱は、BIMは知っているが使ったことがなかったのだ。
世界の一流を相手に、使ったことのない武器で戦う。
夜を徹した作業が続き、気が付くとまぶしい朝日がさし始めていた。
技術者の意地が燃えていた。

朱は、すべての設計図書を実物と同レベルのBIMに起こした。

また、プレゼンテーションの場には様々な国の専門家がずらりと並ぶ。
その場には、専門的な質疑が飛び交う。
アニメーションなどを駆使し、毎日、分かり易く説明する資料を作る必要があったのだ。
そこに表現力、言葉の壁が立ちはだかったのは言うまでもない。

規格の違い

今回のプロジェクトにおける設計は、基本的にBS基準(イギリス基準)だ。
これまで朱は、日本のJIS規格で設計をしてきた。
「似ているところはあるけれど、ほとんどが違う」
このプロジェクトの一番の山場だったと語る。

完全にBS基準に合わせることは困難を極めた。
駄目なら駄目で進む道がある。

BSに相当するであろう、JISでは問題ないことを主張して折り合いを付けながら進めた場面もあった。
JIS規格とBS規格を比較し、代替案を多数提出した
やり方の違いから日本の案件より倍以上の手間を取った。

本格的なスタート

2020年2月からプロジェクトの本格的なスタートがきられた。
確認申請はAIP(Approval In Principle)とDDA(Detailed Desin Approval)の段階となる。

小さくはない課題が残っていた。
それは、先方が雇ったコンサルタントが昔考えた設計アイデアを主張したのだった。
お互い自分の理屈をぶつけ合い、互いの主張は半年以上も続いた。
すべてのものが疑いの目でみられ、大変な時期もあったが
なんとか設計図書の承認することまで漕ぎつけた。

初めてのことばかりだった

世界中を飲み込んだ新型コロナウィルス感染症、世界中が混乱し、このプロジェクトも例外ではなかった。
物はできたが運ぶコンテナがなかった。世界中でコンテナが不足していた。
施工現場は、コロナウィルスで現地労働者が少なく確保できない。
ここで後れを出してしまうと、これ以降のスケジュールに影響が出てしまう。
自社、各業者に迷惑が掛かかる。
何があろうとベストは尽くした。

さらに追い打ちをかけたのが部品のテストであった。
当初の予定では、多くの関係者が来日し目の前で試験確認を取るはずだった。
香港の発注者はすぐに舵を切った。
オンラインで性能試験を中継し承諾を得るのだ。

香港政府下の第三者検査機関、ドイツ、イギリスのコンサルタントを納得させる必要がある。
先ず、3Dモデルを駆使し、性能試験のシュミュレーションを作成した。
専門家らは、これが見たい、あれが見たい、これが駄目、あれが駄目と多くの指摘が入った。
全員が満足できる試験計画を完成させた。
日本各地の試験場から10台以上のカメラを切り替えながらテレビ中継さながらの試験を遂行したのであった。

受け身では駄目だ

横河システム建築ではこれまで、数々のスタジアムや施設の可動屋根を施工してきた。
このプロジェクトでも、その知見を提供し続けている。
新築の1年だけ稼働し、後は契約範囲外というのはもってのほか。
5年後、10年後も考えメンテナンス契約を含めて考え施工しなくてはならない。
横河システム建築の持論を専門家を納得させるのも容易いことではない。

香港沙田競馬場があるから今がある。
日本国内にも神戸スタジアムがあるから今があると言える。

気が遠くなるような作業の連続であったが、次にたすきを繋ぐためやらなければならない。
これは、一番重要なことだと朱は断言している。

最後に想うこと

朱は、一流の技術とセンスを競う舞台を踏めたことに感謝している。
最初からこのような仕事が出来ることなどない。
先人が種をまき、それを収穫して、次の種をまく。
過去の実績からすべて繋がっているのだ。
専門家がずらりと並ぶ雰囲気で上手くプレゼンできるようになった。

苦しみぬいた長いトンネルから得たことで「これをきっかけに波に乗る」、朱は思っている。
初めて挑む世界から、もう次のことを考えているのだ。

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