大きな一歩
こんなにも大きな、屋外ピアノフェスティバルは、誰もなし遂げられなかった偉業だ。
演奏する者、またスタッフ、なにより時を共にした観客は興奮と喜びに浸り
河口湖ステラシアターは感動に包まれていた。
10年前から考えてきた檜舞台
無我夢中で取り組んだ。
音楽の未来を考え、音楽の力を信じている男たちは失敗など考えもしないのだ。
中島浩之(エイベックス・クラシックス・インターナショナル株式会社 代表取締役)
野沢藤司(富士河口湖ステラシアター マネージャー)
村岡真(株式会社横河システム建築 特殊建築部長)
遡ること10年前、中島と野沢は野外ピアノフェスティバルについて想いを巡らせていた。
絶対的にプロフェッショナルな音楽祭。
そこでは、世界一流の演奏が行われている。
世界中のピアニストが参加したいと言ってくれるものにしなくてはならない。
また、子供たちに音楽教室を開いて、将来、河口湖町出身のアーティストを世に出したい。
世界と未来を中島は考える。
ドイツのベルリン郊外にあるヴァルトビューネ音楽堂で、毎年6月に2万2千人規模のベルリン・フィルのサマーピクニックコンサートが行われている。
ここステラシアターでも同じく世界規模の音楽祭を行いたいと野沢は考えていた。
両者は、同じく「世界に通用する音楽祭を河口湖町で」開催したいのだ。
しかし、この規模の音楽祭を開催するには、準備と予算の問題が大きく
まだ見えぬ先に時間だけが過ぎていった。
2016年に「企業版ふるさと納税」、国が認定した地方公共団体の地方創生の取り組みに対し、法人関係税から税額控除する制度が整えられた。
野沢は、この仕組みを活かせれば、長年の夢である音楽祭を開催できるかもしれない。
2020年に総務省から富士河⼝湖町「⾳楽のまちづくり事業」の認可を受け、並行して、10年間固めてきた下地、自分の想いを企画書に纏めた。
野沢は、役場で問題はないかと議論し、後に2020年12月に中島を訪ねる。
そして、中島は企画書のバージョンを重ね、さらに魅力あるものにしたのだ。
企画書の見直しは、おおよそ2週間、9割の内容は中島が考えたと野沢は振り返る。
肝心の寄付を行ってくれる企業を探さなければならなかった。
しかし、野沢はある企業にお願いしようと決めていた。
14年前に、ステラシアターに可動屋根を施工した横河システム建築だ。
もし寄付を断られたら?他の候補と考えそうなものだが、躊躇はなかった。
ある日、期待と不安が入り混じる中、村岡に事情を丁寧に説明したのだった。
村岡も企業版ふるさと納税の制度は、スタジアムなど含めて検討したこともあり熟知していた。
これから横河システム建築として、地球環境問題や教育も含めた地域貢献をしていくことが企業として必ずPRになると踏んでいた。
なにより、企画書の熱量に驚き、またこの内容ならばと前向きに検討することを決めた。
とはいえ、横河システム建築にとっても初めての企業版ふるさと納税となる。
最終的に寄付できないということはあってはならないと、とりわけ慎重に調査、段取り、打合せを行った。
それから、4か月間議論が横河システム建築で行われた。
上長である常務から役員会で社内決済がおり「村岡、すぐに電話だ」とすぐさま伝えられた。
野沢は、本当ですか!と嬉しさが込み上げてくる。
村岡もまた、久しぶりにワクワクした気持ちになったという。
開催の準備は、大胆かつ入念だった。
チケット発売まで時間がない、しかし、中島はギリギリ仕事が得意だった。
また、この業界ならではだが失敗することは考えない。
早速、5月に下見を済ませるとアイデアが自然と湧いてきた。
中島は、思い描いた構想を具現化していった。
そして、以前から決めていた株式会社サンライズプロモーション東京もチケット、告知などタイトなスケジュールに応える。
徹夜までして頑張ってくれたと、感謝の念に堪えない。
とんとん拍子にことが進んでいく。チームの結束がうかがえる。
さすがプロデュース出身だ。
メインは、中島肝いりの「辻井伸行」にすると決めていた。
このピアノフェスティバルは世界規模になる。
ピアニストインレジデンスという立場でこの音楽祭を盛り上げ
10年後、主役を全うした後に、辻井には監督としてこのフェスティバルを牽引して欲しいと願いを込めている。
4日間を通し、観客を魅了したことは言うまでもない。
また、最終2日間で小曽根真や加古隆ら屈指のピアニストも参加し会場を盛り上げた。
ステラシアターと円形ホールでのコンサートは当たり前すぎる。
将来的には、ピクニックコンサートが最も重要になると中島は言う。
富士山が間近で見えるきれいな公園、世界中のピアニストがこんな場所で演奏したいと思うはず。
ここには、野沢の夢も詰まっている。是が非でも成功させたい。
ピクニックコンサートは無料だから、皆参加してもっとカジュアルにピアノを楽しんで欲しい。
ピクニックコンサートの唯一の懸念は、天候である。
野外で行われるため、雨天では体育館に移動せざるを得ない。
しかし、この記念すべき第一回目ピクニックコンサートの予報が雨だったのだ。
富士山に神が宿っているのか?
ピクニックコンサートの時だけ、ピクニックコンサートの場所だけ雨が降っていなかったのが空撮で明らかになった。
地元の小学校(勝山小学校)で辻井伸行の音楽教室を行う予定だった。
野沢が校長会で音楽教室の申し出を行ったことを聞きつけ、他地域の小学校も参加することになった。
さらに教室はコンサートホールではなく、学校側の要望で体育館で行われることとなる。
うちの学校に世界屈指のピアニストがくる。生徒も先生もモチベーションが上がり、その後、誇らしげに語る姿が浮かんだ。
音楽教室の司会は、中島自ら行う。
これは、辻井にとっても初めてのこと、緊張を和らげるのと長年一緒にやってきた阿吽の呼吸があるのだという。
子供相手だからだと中島は一切の妥協を許さない。
ピアノは、ヤマハの浜松から最高のものを運び、調律もヤマハのトップクラスが務めた。
そして、音響は日本で一二を争う会社の代表が行った。
音楽祭は、全部が満員である必要はない。
重要なのは、お客さんを呼べるピアニストだけではなく、色んなピアニストが来て幅を持たせること。
ピアノというくくりはあるがジャンルは決まっていない。
もちろんクラシック、ロック、ジャズなど様々、編成もソロ、デュオ、オーケストラもある。
富士山が目の前にあるという利点。
自然の映像も使える。海外アーティストも来日したいに違いない。
今年はコロナ渦であり、出演は国内アーティストのみであったが、翌年は海外アーティストも含めて行いたい。
ステラシアターでは凄いことをやっていて、それが波及していく。
回を重ねるごとに勢いを増していくのだ。
野沢は、ホールがオープンして一番充実した年になったと振り返る。
ステラシアターにとってこれほどの規模で音楽祭が出来たことを、すべての人に感謝している。
自分が思い描いた夢へスタートした年となった。
そして、野沢の夢が叶った時、富士河口湖町はピアノの聖地となることは間違いない。
野沢の情熱に引っ張られ、気が付けば自分も夢中になっていたと皆口を揃えた。
この男から始まったことは言うまでもない。
イベントのスポンサーなど、お金を出して終わりが多い。
しかし、横河システム建築は違ったと中島は言う。
自分の会社の本業のように、全日程何かできることはないかと頑張ってくれた。
長年この仕事に携わってきたが、初めての経験だったという。
イベント関係者のモチベーションが上がったのだ。
なし遂げられなかった偉業を達成した。
横河システム建築の人が楽しそう、
サンライズプロモーション東京の人も楽しそう、
ステラシアターのチームも楽しそうだった。
笑顔にあふれていたと中島は振り返る。
皆、幾つもの構想があたまを巡る、嬉しい時間はこの先も続くのだ。